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鳴り響くシンバル 走る。 遺跡の外を走る。 誰も起きていない冒険者達の寝床を通り過ぎ、 動かない草が生える草原の上を駆け抜け、 ゆっくりと流れる川をそれより速い速度で追い越し、 木々がまだらな林を突き破り、そして小さな丘を越えた。 レィレが先導し、その後ろをグラスレイとリリューテルが追いかけていた。 グラスレイの右手には斧、左腕にはしっかりと日記帳が抱えられている。 丘を抜けた先で左折してすぐに、今度は大きな起伏が現れる。 普段遺跡に赴くときには目にも留めない山だ。 しかし、今は山だからと言って走る速度を緩めてもいられない。 後ろの二人ならこの速度を維持してもついてこれるだろう。 一度振り向いてから、レィレは山の上に広がる空に向き直った。 一刻も早く、人のいる場所から離れなければならない。 猫が先導し、人と狼が全力で追いかける。 これが日の昇りきった後の遺跡外でなくて良かった。 乾いた岩の上を跳ねながらレィレは思った。 この暗さならば、誰かに見られる心配はまずない。 仮に見られたとしても、わざわざ追ってくる馬鹿はいないだろう。 彼女たちがこれから入るのは、それだけ人の寄らない場所なのだ。 そこは一昨日彼女が散策したときに見つけた場所。 遺跡から少し離れた、島の端に広がる小さな密林。 それを見つけられた幸運に感謝しながら、それを使わなければならない運命に舌打ちした。 レィレが全く想定していなかった方向へ事態は動こうとしている。 トリガーは恐らく、昨日宿屋で感じた微かな異変。 昨日の時点では、ただの気のせいかとすぐに眠りについた。 だが、そのときによく確かめるべきだったのだ。 誰かが忍び込んで、あの日記帳に細工を施したに違いない。 そうでなければ、こんなにも早く日記帳の暴走は起こらなかったはずだ。 それにしても、いったい何のため? そんなことをしたところで、得をする者がいるとは到底思えない。 そもそも、これの存在を知っている者が、この島の中に一体いくつあるだろうか。 いや、あった。 一匹だけ、これの存在を知っていて、何のメリットもなくても手を出すような馬鹿が。 小悪魔の悪戯。 導火線に火をつけたのは何も知らないからなのか、それとも分かっていてやったのか。 もし後者だとしたら、今も自分たちの姿を見て何処かで笑っているはずだ。 だが辺りの気配を調べても、後ろの一人と一匹以外に自分たちと同じ方向へ向かう者はない。 仮に上手く隠れていたとしても、ついてくるなら結末は同じ。 「見えてきましたっ! あの森です!」 ようやく山の頂上に達し、その麓に広がる森を視界に捉えた。 それは島の端に鬱蒼と広がる、緑の世界。 生命がひしめき合っているというのに、 近づくにつれて、まるでそこは巨大な墓場のように見えた。 薄紫の世界の中で、そこだけが深い緑に包まれている。 暗い。とても暗い森だ。 「あの森の中に魔力を抑える特殊な力場があります! そこまで辿り着ければ、何とかなるかも知れません!」 おそらく、これが彼らにつく最後の嘘になるだろう。 そんな確信を抱きながら、レィレは一度立ち止まって彼らが追いつくのを待った。 単純な人たちだ。斜面を駆け下りてくるグラスレイ達を見上げながら、レィレは思った。 あの本の暴走はもう止めることが出来ない。 "変化"にはそれ相応のエネルギーが必要だ。 だが、逆を言えばそれ相応のエネルギーを使った時点で変化は終わる。 幸いにも小悪魔の悪戯のおかげで、彼女が想像していたよりも魔力が小さい状態で暴走が起こった。 これならば暴走が影響する範囲は比較的小さい。 加えて、早く暴走が終わるような場所にあればより被害を小さくできるだろう。 この森には、木そのものをはじめとして、沢山の命が生きている。 そう、あの本が変化するのに十分なだけの生命力に満ちているはずだ。 グラスレイのような島の探索者の命も添えてやれば確実だろう。 遺跡の中に夢中なこの島なら、遺跡の外で森一つが消えたところでどうということはない。 自らの我が儘のために犠牲になる彼らには申し訳ないが、犠牲が出るのは最初から分かり切っていたこと。 心の中でこの森に十字を切りながら、レィレは叫んだ。 「私についてきて下さい!」 ついてこれるはずがないでしょうけれど。 心の中で呟いて、レィレは森の中に入っていった。 これだけ深い森だ。 余程方向感覚に自信がなければ、何も知らない彼らが出てくるのに一日はかかるだろう。 そして、全てが終わるために一日という時間は十分すぎた。 「――こに――レィ――!」 「――レさん――――待――!」 レィレを呼ぶ二人声も随分と小さくなっている。 これだけ生い茂った木々の中、身を潜める場所はいくらでもあった。 彼らを遠くから観察することなど容易い。 注意すべきことは、"変化"の際に逃げ切れるだけの距離をとっておくだけ。 変化の始まりを見届けて、自分はすぐにこの森の外へ出なければいけない。 簡単なことだ。彼らと違ってこんな森ならば簡単に抜け出せる自信があった。 目を瞑り、遠くに聞こえる声に耳を澄ます。 本当に騙されやすい者達だ。 レィレだって、他者を騙すことに痛みを感じないわけではない。 このような命が関わることならなおさらだ。 だが、大罪を背負う覚悟なら既に出来ている。 もともと嘘を積み重ねて操ってきたのだ。 最後の締めに躊躇う理由など、ない。 たとえその罪を罰するために、 作り上げた砂の城が自らの上に崩れてきたとしても、それは運命として受け入れよう。 せめて一瞬でも、その城を眺めることが出来ればいい。 作り上げた砂の城、この変化の後に残ったモノがレィレに友好的とは限らない。 あの日記帳に刻まれた負の感情。 グラスレイの血にまみれた記録。 レィレ達が踊った嘘と懐疑の舞台。 ガルドンの好戦的だったろう挑発。 この島があの日記帳に与えた影響で、何か良いものがあっただろうか。 レィレは溜息をついた。 あれは何も考えずに文字を記録するからこそ、何にでも成り得るのだ。 もしかしたら自分たちは、この島の探索で一つの大きな災厄を作り出してしまうのかも知れない。 それでも、それでも彼女の記録ならば。 レィレが主が綴ったあの日々の記録なら、そんな負の記録にも打ち勝ってくれる。 そんな期待がどこかにあったのかもしれない。 レィレの目は、決して絶望を見てはいなかった。 「――イさんっ! 周りを見て下さい!」 不意に、リリューテルが叫んだ。 それに続いてグラスレイが何か答えたようだが、叫び声でなければとても聞こえる距離ではない。 それにしても、彼女の声には随分と追いつめられた雰囲気があった。 とうとう自分が求めていた変化が始まったのだろうか。 辺りの状態を確認しようと目を開けて、ようやくレィレは気づいた。 彼らを取り囲むようにして、多くの気配が近づいてきている。 この森に住む獣、いや化け物だろうか。レィレの毛先が僅かに動いた。 あれだけ危険な遺跡がすぐ近くにあるのだ。 遺跡の中から凶暴な化け物達が出てこないと、どうして言えたのだろう。 人の集う場所にこそ現れなくとも、どこかに固まって縄張りを作っている可能性は考えられたはずだ。 一つのことに警戒しすぎたか。 レィレは木々の奥に広がる闇を睨んだ。 その先に、鋭い目でこちらを睨み返す光がある。 日記帳にばかり目をやったために、囲まれるまでこの森に潜む殺意に気づけなかった。 獣は危険を察知するといち早く逃げ出すと言うが、 彼らにはあの日記帳の危険性が分かっていないと言うのか。 その殺意に自信がありすぎる。 戦ってうち倒すにはあまりに強く、くぐり抜けて逃げるにはあまりに数が多い。 考えて対処する為の時間もないようだ。 少しでも牽制の視線を外せば、即座に噛みつかれるような圧迫感があった。 窮鼠猫を噛む、と言う言葉が人間の伝承の中にあるそうだが、 追いつめられた猫に多数の化け物をうち倒すだけの力はない。 どうしようもないまま、レィレはそんな化け物達が近づいてくるのをただ待つしかなかった。 じっと闇の向こうを見つめていると、突然辺りの空気が震えた。 四方からの咆哮。どうやらあちらは一気に攻めてくるらしい。 打つ手はない。このまま希望を目前にして自分は倒れてしまうのだろうか。 身構えたレィレのすぐ後ろで、何かが輝いた。 背後からの攻撃か。振り返ったレィレの視界の先には、眩いばかりの光の渦が広がっていた。 リリューテルの悲鳴が聞こえ、そしてすぐに途切れた。 獣達の気配と違う、この光の渦の正体は。 背骨に氷を埋め込まれたように、レィレの全身の毛が逆立った。 「……これが……変化?」 森の中で、幾つもの光の粒が渦を巻いている。 あるものは赤く、あるものは青く。七色の光の粒が淡く輝いていた。 そこはもう、先程までの暗い森の中ではなかった。 真っ黒なキャンバスの中で、虹の絵の具が踊っている。 見とれている場合ではない。 ハッとしてレィレは幻想の渦に背を向けた。 このままここにいれば、渦の中に引き込まれてしまう。 この光は決して太陽のように触れて力がみなぎるものではない。 むしろその逆。渦に飲み込まれれば、変化を終わらせるためのエネルギーとして命は吸い尽くされるだろう。 渦の中心はあの日記帳。 悲鳴が途切れたリリューテル達の二の舞は踏んではいけない。 しかし駆けだそうとした次の瞬間、レィレの目の前に再び光が広がった。 彼女の視界が虹に包まれる。 変化の渦の広がりは、彼女の脚をも軽く凌駕していた。 「……まだ……ここで終わったら何の意味も――!!」 自分の前足さえ見えない光の中で、レィレは必死にもがいた。 しかしそれは儚い抵抗。 すぐにもがくための力も吸い取られ、その体はぐったりと光の中に横たわっていた。 力無く開けられた目の先に、何処までも続く光が広がっている。 先程の闇のように数多の生命を包み隠す黒い色ではなく、無慈悲に焼き尽くす白い色が。 ――これはもう、死ぬかもね。 レィレの中に浮かんだそんな言葉も、空気を震わせることなく渦の中に吸い込まれていった。 PR |
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